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トップ 校長対談「学びの土壌」校長対談「学びの土壌」第2回(前編)

外務省 アジア大洋州局地域政策課課長補佐
田村 優輝 氏(前編)

多士済済な友人と、高度な視点の授業に溢れた武蔵の6年間。

校長対談第2回(前編)01

校長対談「学びの土壌」第2回は、外務省で活躍中の武蔵卒業生、田村優輝さんを本校に招いて行いました。田村さんは現在育児休業中ということから、対談は男の育児についての話から始まりました。
プロフィール
左:田村 優輝(たむら ゆうき)
2001 年武蔵高校卒業。2005年東京大学法学部卒業、外務省入省。2009年ケンブリッジ大学大学院修士課程修了後、在ガーナ日本大使館二等書記官に。 2011年に帰国後、総合外交政策局海上安全保障政策室、大臣官房総務課を経て、2015年からアジア大洋州局地域政策課課長補佐に。通訳担当官として、 総理大臣、外務大臣等政府要人の英語通訳を担当。
※以下、田村氏の発言は個人的見解であり、日本政府の公式見解を反映するものではありません。

右:梶取 弘昌(かじとり ひろまさ)
1952年東京生まれ。1977年東京芸術大学声楽科卒。1977年武蔵高等学校中学校芸術科非常勤講師。1988年、同校の専任教諭となる。2011年4月より校長。アレクサンダー・テクニック、ドイツリートの研究・演奏を現在でも続けている。
梶取:お久しぶりです。本日は、お忙しいところを本校までお越しいただいて、ありがとうございます。

田村:キャリアガイダンスに伺って以来ですから、9ヶ月ぶりでしょうか。少し早く着きましたので、校内を散策していたのですが、この季節は木々の新緑が清々しくて素晴らしい環境ですね。
 ※対談は、4月20日に行いました。

校長対談第2回(後編)yobi_1

武蔵高等学校中学校 校長 梶取弘昌
▶育児休業は、父親を鍛えます。

校長対談第2回(前編)02

外務省アジア大洋州地域政策課
課長補佐 田村 優輝 氏
梶取:いまは育児休業中でいらっしゃるとか。

田村:ええ、今週末まで5週間取っています。来週から仕事に復帰します。

梶取:育児休業制度を利用する男性は多いのですか。

田村:外務省の同期では、多分私が初めてですね。国家公務員の男性の取得率は5%弱なのですが、2020年までに13%という国の目標からは程遠いですね。
梶取:大変ですか。

田村:大変ですけれど、楽しいですよ。慣れてくると、こんなに面白いことはないという感じです。いま、0歳5ヶ月ですけれど。

梶取:じゃあ、突然に熱を出したりといろいろありますでしょう。

田村:ありました。突然に熱を出して病院に連れて行って、妻が仕事に出ている間ずっとつきっきりで面倒を見たり。父親としても鍛えられますね。

梶取:男女平等と言いながら、実際には制度が積極的に運用されていないケースが多いですね。男性が取るとなると、まだ「えっ?」となる企業も沢山あるでしょう。

田村:あると思います。制度上は許されていても、実際には厳しい面がまだあるでしょう。私の場合は、1年前から取らせてくださいと言い続けてきて、育児休業が可能な部署に異動したという経緯があります。育休というのは本当に楽しいものです。

梶取:楽しいという男性が増えてくれば変わってくるのでしょうが、制度を作り運用する側が、トップダウンで決めたところで難しいのが現実ですね。

田村:そう思います。個人的な意見ですが、いっそ男性の育児休業は、一定期間義務化しないとこれ以上は進みにくいのではないかとも思います。北欧では一部そのようにやっている国もありますし。給料が下がってしまうのを嫌がる人もいるでしょう。

梶取:女性の管理職を増やすと言いながら、まだまだですよね。

田村:そうですね。

梶取:それを妨げる要因が、まだ日本社会にはあると思います。

田村:ごく一部の管理職に上がっている女性は、構造上は昭和のお父さんと一緒で、子育てを全部自分の母親にアウトソースして仕事に邁進したという方も少なくありません。両立するためには、夫の側も仕事の分量にブレーキを掛けてやっていかないとなかなか難しい。私は割り切っていて、楽しいと思うのですが、そう思わない男性もいるかもしれませんね。

梶取:海外では、どのような状況なのでしょうか。

田村:国によりますね。アメリカは、産後の育児休業制度が法律で定まっていない国で、多くの人は自前で保険を掛けるなどしてやりくりするしかなく、ベビーシッターを雇っているという国です。今回、自分の育児休業の機会に各国の制度を調べてみたのですが、北欧の国々では、男性も一定程度の期間、育児休業をとることが義務付けられていて、その間の所得の保障も手厚いところもあります。国によって違いますが、いろいろと工夫がされていますね。
日本も、「女性が輝く社会」を目指すという、総理の強いイニシアティブを推進しているので、掛け声だけでなく実態が伴っていかないといけないと思います。私も、それにかこつけて、元々取りたかった育児休業を取っているという状況です。
▶受験にあたって、武蔵の過去問には大変に興味を持ちました。
梶取:ぜひ、育児を楽しんでいただきたいと思います。さて、昔の話から始めたいのですが、武蔵に入りたいと思った理由を聞かせてください。

田村:私は、中学受験を志したのが随分遅く、小学5年生の11月から塾に通い始めました。実家が浦和市(現在のさいたま市)なのですが、通学可能範囲で私に合う中学校として、麻布と武蔵を検討していました。6年生の秋口に入って学校説明会に参加した母が、両校での母親のカラーが全く異なると言うのです。うちには武蔵の方が合うんじゃないかということになりました。
私自身も、受験の2ヶ月ほど前に武蔵に見学に来て、校内に川が流れていてアヒルもいる。鶏もいる。これはなかなか面白い学校だなと感じました。そこから受験対策を始めて間に合うのですから、牧歌的な時代でした。
梶取:ご自身が武蔵を気に入られたということですね。

田村:そうです。もともと中学受験というのは多分に親の受験というところがあって、親が私を上手く乗せたというところがあったとは思うのですが、私自身もこの学校に進みたいと思いました。
いまでも覚えているのですが、受験の前年の過去問に、理科はファラデーの「ロウソクの科学」に関する記述、社会はマルコポーロの文章が出ていて、「果たしてこのジパングというのは実態に合っていたのでしょうか。どうして当時の西洋人はこのような発想を抱いたのでしょうか」という非常に面白い問題がありまし た。
私は歴史が好きな子供で、「まんが日本の歴史」や「まんが世界の歴史」といった本を何十回も読んでいたので、興味を抱きました。

校長対談第2回(前編)03

梶取:そういう問題を面白いと感じるところが、武蔵に合っていたのですね。

田村:そうですね。

梶取:ああいう問題が嫌いな子供は、武蔵には合いませんね。

田村:嫌いな子供には辛いでしょうね。マニュアル化できませんし、パターンを覚えれば解けるというタイプの問題ではありませんから。むしろ、どれだけ本を読んでいて、どれだけ百科事典を読んでいるかというレベルの勝負になってきます。

梶取:いまの時代は、パターン化が随分進んでいると思います。そして、そういった問題を解ける子供が頭が良いと思われています。でも、私はそうじゃないと思っています。

田村:受験に特化するという観点では、ひとつの方法論ではあると思います。世の中には、マニュアル化されたこともできない人はたくさんいます。それに比べれば、叩きこまれて一定の成果をあげられるというのは立派なことだと思います。でも、そういった人たちは大学に進んで愕然とすると思うんですね。同級生には、ピアノもできてバイオリンも弾け、二ヶ国語が流暢で、もちろん勉強もできる、そんな人が東大には多くいました。受験だけに特化した問題だけをやってきた人の中には、ついていけなくなる人もいると思います。実際、詰め込み系の高校を出た人で、学校に来なくなった人を複数知っています。
その点、武蔵生は全く大丈夫です。朝に登校して、休講板を見るところから一緒(大笑)。昼にラーメン屋に行くのも一緒。大学生の生活パターンと変わらないような生活を、中高生の頃からやっていました。
▶高度な視点の授業に溢れた6年間でした。
梶取:武蔵に入学されて、想像していた武蔵と実際の武蔵は、同じでしたか。

田村:多士済済の面白い人がいて、期待通りでした。

梶取:中学1〜2年で、印象に残っている授業はありますか。

校長対談第2回(前編)04

田村:いくつもあります。まず、加藤侃先生の中1政経の授業です。全員、渋沢栄一の「雨夜譚」を買うことから始まり、細かい文章を読み始めます。読んでは話をして、を繰り返すのですが、渋沢栄一が何者かを知らないといけないし、幕末とはどういった時代なのか事前の知識がないと厳しい。けれど、お構いなしにどんどん進んでしまうのです。当時、中1政経はクラスごとに分かれていて、B組の担当は岡先生。岡先生は、マルクスから始めたそうです。中1でマルクスですよ(笑)。
それから、地理の角南先生。「北越雪譜」という江戸時代の文章を、ワープロ打ちされたものではなくて、原文を持ってきて読み解いていく授業でした。「こういうくねくねした文字も読めるんだな。いまの日本語とそれほど変わっていないんだな」と思いました。いくつもの面白い授業がありましたね。

梶取:原典主義といって現在の武蔵でも続けている独自の授業ですが、社会科に限らず、そういった授業は多かったですか。

田村:とにかく岩波文庫の本などがどんどんと増えていきました(笑)。小池先生の古典の授業も、「字典かな」を使って原典にあたる、一次資料にあたるという面白い授業でした。

梶取:そういった授業を面白がる生徒が、武蔵には数多くいますね。

田村:そう思います。どうしてこんなことを中1で知っているんだろうと思う人がいたり。例えば、あるクラスメイトは、中学1年生の頃から、宮脇俊三や内田百閒を読みまくっていました。古典の授業で丹後の話になった時に、ここはどこにあるか分かるかと聞かれて、「現在は北近畿タンゴ鉄道が通っているところです。ちなみに「タンゴ」はカタカナ表記です」と答えたのです。世の中にはいろんなことを知っている人がいるんだなあという驚きから武蔵生活が始まりました。

梶取:なるほど。

田村:中学2年生の、加藤侃先生の地理の授業は印象深い授業でした。先生が世界各地を訪れた時の話や、大航海時代の人たちの航海の話が多かったのですが、地理の基本的な素養がない中1〜中2の時期に、あのような背伸びをした授業は冒険でもあったと思うのです。しかし、非常に偏った知識ではあるかもしれませんが、世界史の一時期にテーマをフォーカスしたもので、私自身は面白く受けることができました。学年最後の期末試験で、「コロンブスの家から地図が発見されまし た。その地図は、いったいどんなものだったのでしょう。考えてその地図を描きなさい」という問題が出されたのです。単に好き放題に地図を描くだけではなくて、当時のヨーロッパ人の持っていた地理的な限界、例えば、コロンブスの家から発見されて、それが15世紀末の地図であるということから推測するに、おそらく新大陸は発見されていた。ただ、新大陸の境目がどこまで行っていたのかは分からない。もちろん、西海岸の方はよく解っていない。当時はまだオーストラリアは発見されていないし、「未知の南方大陸」があるという説が有力だったので、そこにはしっかりと大陸を描かないといけない。アフリカの沿岸というの は、バスコ・ダ・ガマが回った直後くらいの頃なので、大まかには分かっているだろう、とか。
加藤先生は、実は色々な地図の材料を1学期から2学期にかけてばらまいていて、それを最後の試験でアウトプットとして出しなさいということだったのです。
非常に高度な視点だったと思います。私は、その試験で成績10を取ったのが今でも自慢です。
 
梶取:すごいですね。

田村:海に浮かぶ海獣を描かないと10は取れないということを後から先生に伺ったのですが、私は海獣を描いていたんです。当時の地図なら海獣はいるだろうと、炎を吐いている海獣を描きました。

梶取:お話を伺っていると、いまの総合学習ですね。教科は分かれていますが、実際にはつながっていますね。いろいろな知的刺激を与えられたことで、自分の中のいろんなものが開花していく。そういうことだったのですね。

田村:はい、そうですね。
▶中学高校は、「過程」を大事に見守る場所。
梶取:いま世の中では、分かりやすい授業が良いように思われています。実際にはそうじゃないと思うのですが、どう思いますか。

田村:難しいのは、授業を受ける生徒がどのようなレベルの生徒かに依存してしまうことですね。いまの武蔵の生徒の母集団がどういう人なのか、30年前とどう違うの かというのはよく考えないといけないと思います。例えば今、いきなり「雨夜譚」を配ったとしても、むしろついていけない生徒が多いかもしれません。もちろん、そうでないことが一番良いのですが、難しいことを教えるためには質の高い母集団をなんとしても確保しないといけない、というところが我が武蔵の宿命だと思います。

梶取:なるほど。

田村:その上で、分かりやすい授業をやるというのは、メリットはあると思います。ただ、そこで終わってしまうと、「正解が見つかって良かった」で終わってしまいます。実はその奥に複雑な学問体系があって、このような学問がいろいろとあるんだというところまでたどり着かないと、それはそれで不幸だとは思います。

梶取:いまは受験を偏差値で図りますよね。偏差値として武蔵に届かない生徒でも、能力の高い生徒はいます。その生徒の芽を伸ばしてあげれば能力が開花する可能性はありますよね。

田村:あると思います。私も勉強を始めたのが遅かったせいもあって、受験の成績はかなり下の方だったと思うのですが、拾っていただいたおかげで、この学校で育つことができました。
偏差値が上位だから取るというよりも、武蔵とケミストリーが合う子供を取るということが大事なんでしょうね。

梶取:試験というのは瞬間風速です。実は、試験でうまく力を出せなくても、いろんな力を持っている子供は多い。
芸術を例に話をすると、発表会で上手くできるかどうかはわからない。そこに到るまでの過程を見てあげると、あるところでいいことをしているかもしれません。どの教科でも、過程を大事にみてあげたいと思っています。

田村:中学高校というのは、まさにそういう場ですね。社会に出ると結果が全てですから。だからこそ、今の時期はたとえ失敗してもどのような努力をしてきたのかということを見てあげられる、人生において相当に希少な時期だと思います。
▶苦い薬を飲むつもりで基礎練習を繰り返しましょう。
梶取:第二外国語は、どの言語を選んだのですか。

田村:私はフランス語を取っていました。

梶取:当時も4言語あったと思うのですが、フランス語を選んだ理由は何だったのでしょうか。

田村:話される国の数が多かったからです。フランス語ができるとフランスだけではなくて、ベルギーやスイス、アフリカの国々でも通用します。当時は中国がブームで、多くの人が中国語を取っていましたが、話しているのは1カ国だけだと思って私は取りませんでした。実際には多くの国で話されているのですが(笑)。

梶取:フランス語を習ってみて、いかがでしたか。

田村:フランス語の先生が大変怖い先生でした。できなかったらすごく怒られるので、それが嫌で。先生に怒られないように、しっかりと予習していかないといけません。語学は先生が怖い方が伸びるというのは、正しいかもしれませんね。

梶取:語学には、強制力も必要ということですね。

田村:英語も、中1や中2の頃は、必ずしも得意な方ではなかったのですが、中3の時にバーグマン先生が組主任になって、英語で話すことのブレークスルーになりました。それで、英語もだんだん得意になってきましたし。中1からNHKのラジオ基礎英語を聴き続けていたのですが、中2、中3になるにつれてその効果が出てきて非常に楽しかったです。6年間を通じて、私が唯一「9点台」(全教科の成績の平均点が10点満点中、9以上になること)を取ったのは中3の時です。

梶取:今でも中1から基礎英語は聴かせているのですけれど、継続して聴くことに、やはり意味がありますね。

田村:私は、基礎英語は日本国内で最もコストパフォーマンスの高い英語教材だと思います。ただ継続して聴くのがなかなか難しい。私の場合、母親が熱心にカセットテープで録音してくれました。帰宅するとテープがどんどん溜まっていくという無言の圧力がありまして、それで続けられたんだと思います。
中1の時に基礎英語1と2、中2の時に2と3、中3の時に3と英会話入門という様に、少し背伸びをしながらひとつ上のレベルも聴くようにしていました。そのおかげで、かなり英語力は伸びたと思います。

梶取:はじめは強制だったのが、そのうち面白いと思うようになってきたのですね。

田村:できるようになってくると面白いのですが、それまでは、素振りとかノックをずっとしているという(笑)。

梶取:基礎練習は大事ですね。

田村:基礎練習をしっかりやっていないと、高度な野球の実践もできないですからね。そこが難しいところですね。

梶取:保護者から、「うちの子は好きなことは一生懸命やるのですが、他の嫌いなことはやりません。それでも良いでしょうか」という質問を度々受けます。私は、「それは、ダメです」と返します。まんべんなくやる力が必要で、その中でこれは面白いと思うことをやるようにしてくださいと話しています。

田村:大学に入ってからであれば別ですが、中学や高校の段階で、例えば社会だけあまりに好きで、数学が全然ダメというのは、おぼつかないですね。大学に入って、数学的な思考法ができるのとできないのでは、分野が何であれ、大きく影響します。中学高校のうちは苦い薬を飲むつもりでやるしかないと思います。
▶イートン校留学の衝撃で、外交官への道を志しました。
梶取:田村さんは、国外研修でイギリスのイートン校に留学されたのでしたね。

田村:はい。高校3年の4月から6月に行かせていただきました。

梶取:約2ヶ月間ですね。 

田村:当時は少し長くて2ヶ月半。4月の中旬から6月の末まででした。帰国が期末試験の直前だったので、試験を免除していただきました。

梶取:大学受験のある学年ですし、相当の覚悟が必要だったでしょう。

田村:親も何も言いませんでしたし、私も特段、ちょっといなくなりますのでといった軽い感じで(笑)。ただ、帰ってきたらこれまでちゃらちゃら遊んでいた同級生が、眼の色を変えて自習室で勉強していたので、これはヤバイ!という気持ちにはなりました。
とにかく、イートン校留学は楽しかったですね。楽しかったし、自己破壊というか大きな衝撃を受けました。

梶取:イートン校という学校は、イギリスでありながらイギリスでないというか、独特の世界ですよね。

田村:そうでした。

梶取:寮で生活をされていたのですね。

田村:はい。最初はとにかくついていくのに精一杯で。私は英語が得意だという思いはあったのですが、実際に行ってみるとこんなに分からないものか。実は、学校の授業のほうがまだ分かりやすくて、友だち同士で喋っている言葉の方が、ヒアリングが追いついていかず、何を言っているのかさっぱりわからない。衝撃でした。

梶取:語彙というか言い回しが違うのですか?

田村:文脈が分からないので、単語が拾えても一体どういう意味なのかがわからない。また、英語教材と違って、若者の会話スピードが桁違いに早くて、ついて行くのが大変でした。

梶取:武蔵で学んでいる交換留学生も同じ思いなんでしょうね。

田村:そう思います。

梶取:イートン校の経験が今に生きていますか。
田村:生きています。いまの職業を目指すに至ったのもイートン校の経験が非常に大きいです。行く前、私は将来、世捨て人になりたいと思っていました(笑)。高校2年生にありがちな話です。しかし、イートン校に行ってみると、同じ17歳の男の子たちが、「自分たちはイギリスで最も良い教育を受けている、だから社会に出たらその教育の成果を還元することが義務である」と言っているのです。

梶取:なるほどね。

校長対談第2回(前編)06

田村:世捨て人になりたいと思っていた身からすると、大きな衝撃を受けました。考えてみると、決して安くはな い学費を武蔵に払って、レベルの高い教育を受けさせてもらっている。そういった中で、一体自分が将来どういうことができるだろうかと真剣に考えることになったのは良い経験だったと思います。
 
梶取:イギリスでは、裕福な子供たちにしても社会に対する義務を考えているのですね。兵役もありますよね。

田村:志願制ではありますが、中には幹部候補生学校のようなところにイートン校から進む人もいます。イギリスでは第一次大戦以降、階級の高い人が最前線に出ていくことを美徳とするところがありますので、軍の地位というのは非常に高いと思いました。

梶取:イートン校の経験が、現在の職業を目指すきっかけになったということですが、大学もそれを意識して選んだのですか。

田村:そうです。この道を目指すのであれば、東大の法学部がいいだろうと。

梶取:受験で一番大事なときに国外研修に出かけて、大変な思いはありませんでしたか。

田村:一番のスパートをかけていくのは夏以降でしたので。いまでもそうかもしれませんが、私の頃は、国外研修に出て2〜3ヶ月ほどブランクがある生徒の方が進学実績は良かったと記憶しています。ほぼ全員が現役で合格しています。

梶取:なるほど。数多くの学校が国外研修をやっていますが、武蔵ほどの大胆な企画はないですね。ほっぽり出す感じですから。

田村:と思いますね。冷静に考えてみると、17歳でイギリスに一人で渡って、2ヶ月以上生活したのですから。当時は一人旅も許されていたので、2ヶ月弱ほどイートン校にいて、それ以外は、レールパスを買ってスコットランドのエジンバラやグラスゴー、イングランドの北部の湖水地方を回って、北アイルランドまで足を延ばしました。自分で企画して、ユースホステルに泊まる初のバックパッカー旅行でした。

梶取:国外研修に行った生徒の報告書を読んでいると、皆一様に最初の1週間は来るんじゃかったという後悔から始まるようです。でも最後の方は、もっといたい、帰りたくない。その変化がすごく大事かなあと思います。付き添いもなく、生徒を一人で送り出すという危ない制度だとは思いますが。

田村:ある程度やっていけるという生徒を選んでいるのでしょうが、武蔵もリスクを取っていますね。箸の上げ下げまでやってくれるような2週間程度の国外研修にみんなで固まって行くのとは格段の違いがあります。

梶取:修学旅行まがいの国外研修では、意味が無いですよね。

田村:そうですね。語学の習得という点では、自分一人の環境になって、自分の力で判断し、行動するしかない状況になって初めて、我が事として取り組めるというのがありますので。私と同じ時期、武蔵の同級生がイートン校に行っていましたが、お互い会わないようにしようと決めていました。お互いがお互いの生活でベストを尽くそうと、ほとんど会いませんでした。

—————成田を一人で出て行く時は、どういう気持だったのですか。

田村:楽しかったですよ。両親が見送りに来ていましたが、父親は「さっさと行け」と、手振りでシッシッとしたのを覚えています(笑)。

梶取:ご両親も素晴らしいですね。他の生徒で、成田空港で「は〜っ」と大きなため息をつく生徒がいました(笑)。

田村:そんな生徒がいるんですか。

梶取:お父様から聞いたのですけどね。後悔しながら出て行ったそうです。それが、帰ってきたら「ありがとうございました!」ですからね。やっぱり、田村家は進んでいるかな。

—————何が起こるかわからない、不安もありますからね。

梶取:以前に、中国に送り出した生徒のケースですが、空港にホストファミリーが迎えに来ていないことがあったようです。電話をしたら、「えっ?今日だったんですか」と。でも、その生徒は恨んでいなくて、楽しそうに報告するんですね。

田村:私もイートンから帰るときに、ヒースロー空港で飛行機に乗り遅れて、帰国が1日遅れました。預ける荷物の重量オーバーであたふたしているうちに乗り遅れたんですが、それもいい経験でした。

後編につづく
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