トップ
TOP

トップ 卒業生の声武蔵生としての誇り

卒業生の声

武蔵生としての誇り

村田俊樹(85期 2011年3月卒業)

武蔵85期卒業生として寄稿させて頂くにあたり、武蔵を離れて一ヶ月、早くも改めて感じる武蔵の良さについて書くので、拙文におつきあい願いたい。

そもそも同窓会報で今更武蔵の良さについて書く理由は、内外で言われる「武蔵は堕ちた」という評判に対する僕の反感である。武蔵の教育設備や制度の充実ぶりは言うに及ばない。例えば高校生が、ましてや中学生が、あれだけの図書館を手軽に使えるのは「過福」という物だろう。

国外研修制度はまさに抜群である。大学に第二外国語既習者として入学した大学での級友の多くはネイティヴ/ニアネイティヴないしは帰国子女であり高校で学習したという人は少ない。高校で学習したという人に話をきいても、どの高校も二外は一カ国語だけであり、「英語この程度だから、外国語が全く使えなくても仕事ができた時代に既に国外研修制度が確立していた武蔵は時代をかなり先行している。さらに、大正時代から「東西文化融合」や「世界に雄飛」する人材育成を掲げていた武蔵は、昭和、平成と文字通り2つの時代を先取りしていたのである。もしかすると、現在では奇抜にしか思えない個性的な教育も、一世紀後に振り返ると先見の「妙」として映るかもしれない。なお、周知の通り現在でもグラウンドの人工芝化や教室改装など設備の一層の充実が図られている。

授業を思い起こしてみると、先生により方法の別はあるが、過不足なく努力分が得られる授業だと思う。実際授業形式は大学の講義と似ている。しかし僕にこの本当の価値が分かるのは数年後、数十年後だと思うので、ここでは深入りを避けることにする。

僕が武蔵で最も気に入っているものはその雰囲気である。急に漠然とした話題になってしまったが、小5で武蔵を初めて訪れた僕は武蔵の雰囲気に、人生最大の感動を覚えたのである。僕の志望校は、その数秒で決まった訳だが、その雰囲気は、今なお変わらずにあると思う。その雰囲気に関しあえて考察を入れると、武蔵は世間の憔悴とは無縁に存在するということだと思う。例えば他校では特進クラスなる物があり、大学受験の前にまずそれに入る為の競争があるらしい。一方武蔵では競争というよりは、全員で楽しく学校生活を送る雰囲気があると思う。そして自然と、勉強に関し周囲を気にせず取り組む雰囲気ができるように思う。僕は中1の時、何となく友達が宿題をしていればしたし、していなければしなかったが、やがて自分で判断がつくようになった。でなければ部活との両立もできず、共倒れになっていたかもしれない。さらに僕は高2まで「武蔵で普通」に勉強し、受験勉強もその延長程度だったが、親には「大逆転」と言われる結果に至ったのだから、「武蔵で普通」はやはり世間で特別なのかもしれない。

雰囲気に関しもう一つ付け加えると、武蔵生は雰囲気を察知し、操る能力に長けていると思う。世間ではメリハリと呼ばれること?遊びと勉強の切り替え?も勿論含まれるが、武蔵生固有の芸は、たいてい意外な所に表れる。

車道で横いっぱいに広がって歩き一向に道を開けない、または周囲に全く注意を払わずに横断をする、といった不届きな若者が増えていると言われる。武蔵生も横に並んで歩く、歩きながら食べる、読む、音楽を聴く、ゲーム機や携帯を操作する等、マナーには酷い物がある。しかし不思議なことに、中2頃になるとながらにして危険を回避するのである。前方からは勿論、後方から車が近づくと見やりもせずに、迅速に道を開けるのである。道を横断しようとする際も同様で、おそらく一人が気づき他は空気を読んでいるのだろうが、察知するのである。だから様々な行為が許されるという訳ではないが、武蔵生には特別な能力があるようだ。

まだまだ部活や校友会活動など武蔵の素晴しい点を挙げればきりがないが、紙面の都合上、また校友会関係に関し無知であるという個人的な理由から割愛し、まとめに入ろうと思う。「武蔵で特別なことを学ぶからその分世間の勉強ができなくて良い」というのは認め難い。大学進学者数を見て学校の善し悪しを判断するのも間違ってはいないのかもしれない。しかしいわゆる都立の逆襲で競争相手が増え、一般に私立高校の進学実績は以前程ではないということや、交通網の一段の整備で武蔵生が非関東圏の大学に進学することが増えていることを無視し、特定の大学への進学者数が激減している、これは武蔵が堕落しているからだなどと謳うのは全くの誤りである。だがそのような風評をどこかで納得してしまい、武蔵の勉強より塾や予備校を優先し、先に挙げた武蔵の良い点を満足に利用しない生徒が出てくると、全体として実績面にも悪影響が出て、風評に拍車をかけてしまう。この悪循環こそが「堕落」を作っているのではないだろうか。僕は現代の武蔵をとても素晴しいものであると思うし、同輩や後輩の能力の高さも知っている。だからこそ、武蔵で「堕落」している物は、もしあるとすれば、武蔵でも武蔵生でもなく、武蔵生の武蔵生としての誇りや武蔵に対する信頼と敬愛であると思う。これを現役生に言えないのは甚だ残念であるが、武蔵も武蔵生も堕落などしていない、今まさに武蔵から巣立とうとしている85期生の意気込みを代表し、最後にこう書いておく。

前へ

次へ

to-top