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卒業生の声

新たなるスタートラインに立って

佐藤雄太(84期 2010年3月卒業)

皆様はじめまして。私は今年3月に卒業し、新たに同窓会員となりました。この度はこの会報に寄稿する機会をいただきました。武蔵を離れてまだ間もないのですが、新たなる生活を迎えるにあたって6年間で得たものについて一つのけじめとして書きあらわしたいと思います。

今現在から2004年に入学した頃を考えてみれば、武蔵の校舎内の設備は劇的に変化しました。土のグラウンドは人工芝に、体育館も耐震補強が施され、教室の内装も一新されました。武蔵生の生活環境としてはすこし贅沢すぎるのではないかとも感じておりましたが、この改装が始まってから武蔵構内は様々な方がいらっしゃるようになり、にぎやかになったとも感じられます。そんなめまぐるしい変化とは打って変わって、私たちを取り巻く環境は変わらず言葉では言い表せないような雰囲気を紡ぎだしています。多分、この雰囲気は武蔵がどのように姿形を変えたとしても残っていくのだと思いますし、残ってほしいと願っています。武蔵での授業は非常に個性的なものが多く、受験勉強だけではないからこそ、武蔵生の興味関心が一人ひとり異なった形で芽吹いてくるのではないでしょうか。友人と集まって武蔵での思い出話をすれば、それぞれ覚えている授業が異なることもこれを物語っています。

私は高校時代、校友会活動に比較的積極的に関わってきました。確かに、部活動など校友会活動が直接的に受験勉強に影響することはないでしょう。その考えはお隣の国、韓国で強く出ているようでした。高校2年生の終わりに国外研修制度を利用して韓国へ短期留学したことで実感することができました。ご存じの通り受験大国と称される韓国の高校に4週間通い、一日の大半を勉強に費やす韓国の高校生の姿から、自らの勉学に対する姿勢を見つめ直す契機になりました。しかし、教室では作り出すことのできない生徒による自発的な活動を支えるこれら特別活動は、自分たちが問題を独自に発見し、その解決へのプロセスを策定していくという点で、武蔵の三大理想である"自ら調べ、自ら考える"に近づける手段の一つになり得ると私は信じています。

日本では近年「ゆとり教育」に対する批判の声から、次の学習指導要領は「脱ゆとり」という新たな方向へ舵が切られました。小学校の教科書は私たちの時代から平均25%増加という記事も出ています。そして、「ゆとり」という単語が我々の世代を象徴するような表現へと定着する様子さえ見せ始めています。そんな「ゆとり」には悪役としての性格しか持ち合わせていないのでしょうか?

勉学に対する自発的な姿勢を身につけるという目的で始まったのにもかかわらず、子どもたちにその能力をあたかも前提のように求めてしまった所に、この制度の問題点があるように素人の目には見受けられます。これからの時代に求められる力は以前のような一つの問いに対していかに早く正確な答えを答えられるかという"情報処理力"ではなく、他人との共通解をどのように構築するかという"情報編集力"が求められているのだと痛感します。しかし、これらの力がみんな大切だといっても子どもたちにも許容量があります。それに目一杯受験勉強も大事だ、ゆとりも必要、英語は小学校から、いや国語も重要、などと大人が次々と子どもの学習内容に付け足しをすれば、何かがはみ出るのは当然です。これから後輩にも気を配る世代の仲間入りを果たす私には、一体何がこの世界には必要なのかよく研究しなければならない一方で、早くも答えなど出ない路に差し掛かっているのではと、不安でもあります。

これから、新しいスタートラインに立った私たちを取り巻く世界はどんどん変化してゆくでしょう。まだまだ至らない点も多いですが、そこから生まれる様々な難関や試練を乗り越えていけるよう、日々精進してまいります。それは、一人ひとりに課せられた役割なのではないでしょうか。

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