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トップ 校長対談「学びの土壌」校長対談「学びの土壌」第6回(前編)

ピアニスターHIROSHI(吉田 洋)氏(前編)

学校に来ないことで有名な劣等生、ストレートで藝大へ。

校長対談第6回(前編)01

校長対談「学びの土壌」第6回の対談相手は、異色の音楽家、ピアニスターHIROSHI(吉田 洋)さん。藝大出身者同士、音楽の話に花を咲かせつつ、多感な10代の心に寄り添う優しい対談となりました。
プロフィール
左:梶取 弘昌(かじとり ひろまさ)

1952年東京生まれ。1977年東京芸術大学声楽科卒。1977年武蔵高等学校中学校芸術科非常勤講師。1988年、同校の専任教諭となる。2011年4月より校長。アレクサンダー・テクニック、ドイツリートの研究・演奏を現在でも続けている。



右:ピアニスターHIROSHI(吉田 洋)
1961年生まれ。公立中学より武蔵高校に編入し1980年卒。東京藝術大学楽理科を1986年に卒業。在学中よりポピュラー音楽誌を中心に、キーボード奏法や編曲テクニックに関するセミナーを執筆し、卒業後はジャンルの垣根を超えた異色ピアニストとして演奏活動を展開。「右手でクラシック・左手でポップス」の同時演奏や、客席から募ったリクエストを、その場で全曲、即興メドレーに仕立てる独自の芸風で注目を集め、「ピアニスト、スターになったらピアニスター」なる発想の下、1996年より「ピアニスターHIROSHI」を名乗る。
「題名のない音楽会」「徹子の部屋」「平成教育委員会」「世界一受けたい授業」等、テレビ出演も数多く、これまでに発売したアルバム、「展覧会のエッ?!」「新・動物の謝肉祭」「HIROSHI WORLD GOLDIES」は、いずれもインストゥルメンタルとしては異例の好セールスを記録。2001年、第43回日本レコード大賞企画賞受賞。また1999年よりクラシックの殿堂、東京文化会館大ホールにおけるリサイタル「UENOの森のHIROSHI」を毎年、敢行し、来る2018年9月23日、記念すべき第20回を迎える。

梶取:お忙しい中を武蔵まで来ていただいて、ありがとうございます。

HIROSHI:いいえ、光栄でございます。

梶取:HIROSHIさん(吉田さん)の演奏会は、何度も聴いていますが、毎回感動します。素晴らしいですね。

HIROSHI:本当ですか。ありがとうございます。本当はピアニストになるつもりはなくて、武蔵時代はロックバンドばかりやっていました。記念祭だけ花形!という人間でした(笑)。
・・・ご存じない方は、ぜひYOUTUBEで「ピアニスターHIROSHI」で検索を。聴衆を楽しませる超絶テクニック映像がたくさんアップされています。そして、感動したらコンサートに出かけましょう・・・。

校長対談第6回(前編)02

▶本当に勉強しなかった。でも、学校は好きでした。
梶取:武蔵には、高校から編入されたのですね。
 
HIROSHI:そうです。駿台予備校の模試では全国3位以内くらいの受験生だったのですが、武蔵に入ってみたら、とんでもなく優秀な人がたくさんいて、これじゃいくら頑張っても一番になれるわけないと思いました。そうすると、一番でないのならビリでも同じと思って何もしなくなりました(笑)。実は、開成も合格していましたが、詰め襟が大嫌い。それで武蔵を選びました。今日は何を着て行こうかと悩む毎日で、それで遅刻したことが何度もあります(笑)。
 
梶取:本当に、勉強しなかったのですか。
 
HIROSHI:はい(笑)。ただ、高3になる頃、当時の武蔵は、成績が8点台以上の人は過半数が東大に進む時代だったので、この人達と将来、私はどういう顔をして会うんだろうと思うようになりました。

梶取:それで、藝大を目指すことに?

HIROSHI:音楽だけは好きで続けていましたので。江古田駅近くの書店で音大受験案内を手に取ってページをめくりながら、「藝大ならカッコつくかな〜」みたいな感じで(笑)。でも、作曲科は試験が長いから無理とか思いながら見ていたら、見覚えのない楽理科というのがありまして、試験科目が広く浅くだったので、これは受かるかもしれない、東大の人たちに対抗するにはここしかないというという浅はかな発想で受験しました。それで、受かってしまいました。

梶取:簡単におっしゃるけど、楽理科も簡単に入れるところではないですよ。

HIROSHI:ただ、私には絶対音感がありまして、バンドの聴音を全部やっていましたから。それと比べれば入試の聴音の方が全然やさしかったです。

梶取:大変だったと思いますけれどね。

HIROSHI:大変といいますか、1年しか準備期間がなかったので、その間はそれなりに勉強しました。実は私、一人息子なのですが、父親は当然武蔵に入れたのだから弁護士ぐらいにはなるだろうと思っておりました。しかも父親が開業の公認会計士でしたので、医者か弁護士になるのだったらどんなに高い授業料でも出すと言われたのですけれど、絶対に嫌だと聞き入れず。とうとう父親も怒ってしまいまして、「音楽やるのだったら国立しか許さん。浪人したら出て行け。」と言ったんですよ。だから、「まー上等じゃないの」と思いまして。
当時、ゴダイゴが注目を浴びていて、ミッキー吉野さんが、バークレー音楽院を出られていました。藝大出身では、坂本龍一さんが活躍されていました。その辺の影響を受けていまして、藝大は一年じゃ受からないから、その場合はアルバイトしてアメリカに渡ってバークレーに入って、きっと麻薬中毒で死ぬんだと。なんて素晴らしい人生だとワクワクしていたんですよ。

梶取:(苦笑)

HIROSHI:そういう人生が憧れで、でもそれが1年間の勉強で受かってしまったので、こんなにいい加減な人間なのに、学歴は武蔵と藝大って美しすぎる、どうしましょうという感じでした。

梶取:藝大にストレートで入ったんですからね。
 
HIROSHI:あの、一浪したら受かっていませんでした。
 
梶取:どうしてですか。

HIROSHI:私は共通一次の2期生なのですが、その2年間だけ、楽理科は、共通一次の英語だけで判断してくれたのです。楽理科の英語というのはマニアックの極地で、私の一年下の人たちは、観阿弥の花伝書の古文を英訳せよという問題が出たそうです。
 
梶取:凄いことをやりますね。
 
HIROSHI::だから、一浪していたら絶対に合格していません。
 
梶取:話を戻しますが、高校編入で武蔵に入られたわけですが、優秀な生徒だったわけですよね。
 
HIROSHI:いいえ、ぜんぜん。入っていきなり成績が5.9ですよ。
 
梶取:それは、勉強しなかったからでしょう。
 
HIROSHI:(笑)そうです。
 
梶取:実力はあったわけですよ。それは真面目に勉強するのが嫌だったのですか。
 
HIROSHI:実は、小学生の頃から理科がすごく嫌いでした。生物や地学のように目に見えて実感できるものはまだよいのですが、分子とか電子とかになると、もう本当に何のことかわかりませんでした。区立の中学校でしたけれど、理科の試験は一夜漬けで何とかするのですが、まったく理解していないという状態でした。だから、武蔵に入ってからの化学や物理は、「この先生、何を話しているんだろう」状態。数学はすごくできました。ところが数Ⅰまでなんです。虚数が入った瞬間から、もう何を言ってるんだか分からない。
 
梶取::嘘の世界がいやなんですね。

校長対談第6回(前編)03

 HIROSHI:と言うよりも、何でこんなことをしなければいけないのかが理解できなくて。だから高3で受験が決まってからは、大橋先生に声をかけて、「共通一次しか関係ありませんので数Ⅰ以外の問題は当てないでください」とお願いしたくらいです(笑)。
 
梶取:そうですか(笑)。優等生じゃない生徒でも許してくれる風潮は、当時もありましたか。
HIROSHI:いまのことはよく分かりませんが、当時の方がより強かったんじゃないでしょうか。
 
梶取:昔は、いわゆる受験指導をしませんでしたからね。授業で受験に関することをやろうものなら、「先生、何やってるの」と怒られた時代でした。先生が自分の専門分野の授業を勝手にやっていて、その授業を面白いと思う生徒もいれば大変だと思う生徒もいました。
 
HIROSHI:全般に大学のゼミみたいな授業でしたね。学問する人向けというような。
 
梶取:同級生の中では、どのような存在だったのですか。浮いていたのですか。
 
HIROSHI:完全に浮いていました。だいたい学校に来ない人として有名だったので、「あっ、今日は吉田くんがいた。これはラッキーだ」というような扱いを受けていました。
 
梶取:当時も、出欠は厳しかったでしょう。
 
HIROSHI:ですから、遅刻と早退、欠席数をギリギリまで計算するという手段を取っていました。
 
梶取:いまの生徒も、小学生の間は完全に管理されているわけですが、中学生になって、急に自由を与えられるわけです。それで本人はよくても、親は、なんという学校だと。
 
HIROSHI:親は心配ですよね。私は、嬉しかったですけれど。むしろ大学に入ってからの方が、深窓の育ちの人が多いでしょう。その人たちの方が高校生みたいでしたよ。
 
梶取:なるほど。そうですね。
 
HIROSHI:本当に、ついていけないくらいお坊ちゃま・お嬢様ですから。
 
梶取:美術は雰囲気がまったく違いましたね。作品製作をしますから、汚れてもいい服装だったこともありますが。
 
HIROSHI:そうです。友達は美術の人たちばかりでした。
 
梶取:道路挟んで、当時はまったく雰囲気がちがいましたね。
 
HIROSHI:守衛さんは、私のことを美術の生徒だと思っていました(笑)。
 
梶取:そうですか(笑)。藝大はいちおう国立なので、授業で必修の科目があります。真面目に出席したのですか。
 
HIROSHI:藝大には、クリエイティブな人がいっぱいいると楽しみに思っていたのですが、そうではありませんでした。嫌気が差しているところで、美術の人と仲良くなって、大学祭の実行委員とかを一生懸命やっていました。同時に2年生ぐらいから、知り合いの紹介で、音楽雑誌の楽譜校正のアルバイトを始めたんですね。そうこうするうちに、楽譜や解説も書くようになり、3年生くらいからは月刊誌の連載を50ページくらい持つ状態になりまして、学校に行けなくなってしまいました。
▶「書く力」が足りないと、子どもも大人も気がついています。
梶取:ほう、すごいですね。でも、その文章を書く力というのは、書いているうちに身についたこともあるとは思いますが、どこかでその力をつけられたのでしょうか。

HIROSHI:なぜか分からないのですが、僕の自慢のひとつは、武蔵で真田先生の現国の授業が、ずっと成績10だったこと。担任の先生から、「真田先生が君の文章力をすごく評価していたぞ」と聞きました。
 
梶取:武蔵に入る前から、書くことが好きだったのですか。
 
HIROSHI:特に意識してはいなかったのですが、武蔵の入試で何が嬉しかったかと言えば国語の記述式で字数制限のない問題です。これで、書きたいことが書けると思って書いたことを覚えています。
 
梶取:解答スペースが広い空間になっているので、書けない子は書けないようです。

HIROSHI:そうかもしれませんね。
 
梶取:だから武蔵の記述問題を嫌う人もいるようですね。
 
HIROSHI:でも、スペースが大きいからといって、核心をついた言葉を2行で書いても良いわけで、長ければ良いというわけではないでしょう。
 
梶取:その通りです。当然、先生たちも解答の中身を求めているわけですから。
 
HIROSHI:そうですね。
 
梶取:それにしても、いまの子どもたちの書く力は恐ろしく弱いかもしれません。

HIROSHI:それは当然じゃないでしょうか。まず本を読まないし、これは書くことのひとつかもしれませんが、タイピングしかしていないのですから。
 
梶取:なるほど。小さい頃からたくさん本を読まれていたのですか。
 
HIROSHI:親が、本を買って与えることが趣味のような人でしたし、当時は他に遊びがないですよね。知的好奇心が湧いたら百科辞典で調べるしかない時代ですから。百科事典を開いているうちに、本来調べるものではないところに目が止まって、そこからまた調べ始めるというようなことをしていましたね。
 
梶取:教員が言うのですが、いまはネットや電子辞書もあるけれど、それを早くから使わせたくない。目に入る余計な情報が大事なんだと。

HIROSHI:そうなんですよ。無駄って必要ですよね。経験上、申し上げるとしたら、文章をそれなりに書く、文章力を高めるための訓練は、自分で書いた文章を音読してみること。黙読ではダメです。
 

校長対談第6回(前編)04

梶取:昨年8月に、アメリカ東海岸のいわゆるアイビーリーグ(IVY League) を周って、大学院生たち(日本からの留学生たち)と話す機会がありました。彼らが共通して言っていたことは、「自分には『書く力』」が足りない」でした。日本では、英語は4技能が大事で、日本人はリスニングとスピーキングにもっと力を入れろというのですが、そんなものは慣れてくる。それよりも、自分には書く力が圧倒的に足りないんだと言うのです。

HIROSHI:なるほど。説得力がありますね。
 
梶取:この間、池上彰さんが講演で生徒たちに、「僕はスマホを持っているけれど、これで調べないよ。(本当かどうかは分からないのですが)東大生や京大生は歩きスマホをやらないから」。我々が言うより、生徒にははるかに説得力があります。
 
HIROSHI:なるほど。
 
梶取:池上さんはNHKの「週刊こどもニュース」に出ていた頃、新聞を全部切り抜いてスクラップする作業をしていたそうです。子どもの素朴な質問に答えるには、わかっているつもりではだめなんですね。無駄なように見えるいろんなことを自分で調べておくという経験が必要で、それをいまでもやっている。そこが、いまの子どもに限らず大人にも欠けている気がします。
 
HIROSHI:人間は、もともと怠惰な生き物ですから。楽な方法が見つかれば、わざわざ苦労する方に戻らないですよ。例えば、私の実家が、ちょうど40年前に建てた家なのですが、当時、これで十分と考えて付けたたくさんのコンセントが、いまでは全然足りません(笑)。電化製品はそのくらいしか使わなかったんです。でも40年経ってみたら、どんなタコ足にしたって間に合わない。それで、40年前に戻れるかと問われたら、戻れるとは思います。でも、ものが溢れているのに40年前のものだけ使えと言われても、それはちょっと難しいですよね。
 
梶取:昔はこうだった、では通用しない時代ですから。いまの時代の中で、彼らがどう勉強して過ごしていくかというのが大事なんだと思います。ただ、周囲に揃っている便利な環境を、あって当たり前のものとは思ってほしくありません。
 
HIROSHI:極端な例ですけれど、パキスタンで銃撃にあったマララ・ユスフザイさん。ノーベル平和賞を受賞した少女ですが、あのような酷い目にあっている子どもこそが、ペンの偉大さとか1枚のノートの貴重さをわかるのでしょうね。武蔵に入るような子どもは、そこまで大変な境遇ではないでしょうから。
▶やりたいことを、やりたいようにやる。完璧をめざす。
梶取:生徒に、「君たちは恵まれているんだ。恵まれているのだから、何かするべきことがあるだろう」とよく話をします。自分には何ができるのか考えようと。HIROSHIさんも、音楽を通して、人にいろんなものを与えているわけですよね。
 
HIROSHI:それは、思われるほど立派な大義名分はなくて、自分のやりたいようにやっているだけです(笑)。
 
梶取:実は、そこがすごく大事だと思っていて、今日はぜひお話したかったのです。例えばベートーベンが曲を書いて、結果として我々はそれを享受するわけです。でも、ベートーベンは、絶対に人類のためと思って作曲してはいない。神様のためはあったかもしれませんが。
 
HIROSHI:そうですよね(笑)。
 
梶取:偉大な人物が崇高な精神を持って曲を書いていたのではない。バッハはケンカっ早くて、お金に関しても要求が厳しかったようです。ベートーベンにもパトロンがいましたし、モーツァルトも、金銭的見返りがあったから曲を書いたわけです。それをけしからんと言ってもはじまらない。そういう時代だったのですから。
 
HIROSHI:不健康な生活を送って早死にした作曲家もたくさんいますからね。
 
梶取:そう。彼らはすごい人達だけど、人類のためなんて絶対に思っていない。結果的にそうなっているんです。だから、私も教育に関わっていて、結果として生徒のためになってくれればいいのだけれど、やっぱり自分はこうやりたいと思うことをやるしかないと考えています。
HIROSHI:この歳になって思いますのは、若い頃は、どうしても完璧主義と言いますか、例えば人に教えるのであれば、非の打ち所がないほどの知識がなければいけないというように、つい力んでしまいがちでした。だけど、私のピアノの恩師にあたる方でも、10年前といまでは、同じ曲について異なる解釈をされるんです。「先生、10年前と違います」と言ったら、「そりゃあ私だって練習するから変わるわよ」と。
 
梶取:なるほど。

校長対談第6回(前編)05

HIROSHI:でも、それでいいんだなと。間違いは誰にもあることですし。正論が何かと言われたら、10年後にはまた変わっているかもしれません。そういう意味では、批判を恐れて、教科書以外のことを教えてはいけないと硬くなるよりは、ちょっと物議をかもしても賛否両論分かれるような授業があっても、私はよいのではないかという気がします。
 
梶取:音楽の世界でも、いわゆるミスタッチをしなくて完璧にやる、何回やっても同じテンポで演奏するということが、あたかもよいような風潮があります。それは能力のひとつではありますが、どうでもいいことではないかと私は思っています。テクニック至上主義の蔓延は音楽をダメにしますね。
 
HIROSHI:しかもそれは、これだけテクノロジーが進化してくると、人工知能に取って代わられますよね。
 
梶取:その通りです。テクニックだけだと、我々は必要なくなります。すでにモーツァルト風という作曲が、いまの時代では人工知能でできてしまいます。
 
HIROSHI:そうですね。
 
梶取:やはり生身の人間がミスをしたり、いろんなことが上手くいかなくても、そこが人間が演奏する意義だと思うのです。
 
HIROSHI:ただ、逆にそのライブ感というのは、よほどの付加価値がないとダメです。いまの子どもたちは、スマホで聴いた音がすべてだと思っている子がたくさんいます。
 
梶取:スマホのデジタル音源でオペラを聞くと、すべてがクリアに聞こえてきますが、ライブではそのように聞こえてきません。「どうしてあんなに声が小さいの?」と思ってしまいます。ライブを知っていたら、スマホの音源もそういうものだと思って聴くことができる。“ライブ”というのが音楽でも他の分野でも大事だと思います。そこが、だんだんと軽んじられている気がしますね。
 
HIROSHI:だんだんどころか、もう著しいです。誤解を恐れずに申し上げますと、私自身が売っていて言うのも変なのですが、CDというのは所詮10年、15年前のある日の記録でしかなくて、いま弾くとぜんぜん違うぞ、という思いがありますから。
 
梶取:例えば、コンサートのチケットが3,000円、CDが3,000円だとしたら、CDを買ったほうが安いと思ってしまう人がいるでしょう。いわゆる経済感覚。CDの方が何度も聴ける。教育もお買い得感で考えられてしまう時代です。
 
HIROSHI:そうですね。
 
梶取:先ほど完璧主義ではないとおっしゃいましたが、それでもある意味完璧主義だと思うのは、そこを目指して技術的にも高めたいと思われている。
 
HIROSHI:割り切って言えば、練習は完璧主義、本番は成り行き主義。本番で完璧を考えていたら落ち込んでしまいます。ひとつミスした瞬間に、すべての理想像は崩れるわけですから、そこでやめると全部終わってしまいます。
 
梶取:そうですね。
▶ 音符と漢字は一緒です。書いて初めて身につきます。
梶取:知らない曲以外は全部弾けるとおっしゃっていますが、それはどのように勉強されたのですか。
 
HIROSHI:全然、勉強じゃなくて、聞き覚えのある曲はメロディが思い出せれば何となくこんなふうだったでしょと弾けるだけです。
 
梶取:昭和歌謡から、リクエストがあれば弾けるわけでしょう。

HIROSHI:知っていればですね。20代の前半は音楽雑誌で譜面書きの仕事をしていましたし、講談社のヤングフォークという雑誌の歌本も作っていましたし、その頃はレコード会社から発売前の新譜が届けられて譜面に起こすという作業をしていました。シャンソンのピアニストに声楽家の伴奏、ロックバンドもしていましたので、守備範囲が広いのは確かです。

梶取:なるほど、自分で定着させる作業をしっかりされていたのですね。ただ、聞いて知っているというのではなくて。
 
HIROSHI:そうですね。よく申し上げるのですが、「音符と漢字は一緒です」と。読めるけれど書けない漢字ってたくさんありますでしょう。でも、書けるのに読めない漢字はありません。同じように、書けるのに読めない音符はありません。
 
梶取:藝大の話に戻りますが、面白い先生には出会えましたか。
 
HIROSHI:ラッキーだったのは、当時グローバルな視点をお持ちだった小泉文夫という先生に出会えたことです。私の担任になってくださって、でも4年生の時に急逝されたんです。民族音楽の講義をご一緒できたのは宝物だと思っています。
 
梶取:小泉先生は、藝大の中では異端でしたね。授業でも、「オペラなんてくだらない(本当は好きだったのに)」と公式に発言されていて、民族音楽という分野を掘り起こしたということは大事なことです。藝大においては西洋音楽が一番みたいな世界でしょう。私にしても、声楽科って変な科で、日本の歌を習ったことがありません。入った途端にドイツ、イタリア。それから、フランス。
 
HIROSHI:本当に、日本歌曲専攻の方っていませんよね。
 
梶取:結局、いまの声楽家の演奏を聴いて、私が違和感を覚えるのは、「西洋音楽の発声で日本語を歌うから」です。それがまかり通っている変なところが日本のクラシックの世界にはあります。
 
HIROSHI:以前、著名な歌手がシューベルトの子守歌を日本語で歌われたことがありました。歌詞を知っていたからわかりましたが、知らなかったら何を歌っているのかわからない(笑)。
 
梶取:そういう世界なわけですよ。例えば第九を歌っても、バロックのオペラとはアプローチが当然違うはずです。それが、第九を歌おうが何を歌おうがすべてイタリア式の発声。ベートーベンは、そんなことは書いていませんね。
 
HIROSHI:もうひとつ、私がラッキーだったのは、大学2年の時、副科声楽が安田祥子さんだったことです。日本の楽曲がお得意で、「日本語を使いなさいね」とおっしゃる方でした。また、唐木暁美先生のソプラノの伴奏を随分しましたが、その先生は日本楽曲の場合は、音を抑えてくださいと。何故かと言うと、6割の声で歌わないと日本語はわからないからと。そういう方とご一緒できたのは大きかったです。
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