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校長対談「学びの土壌」

トップ 校長対談「学びの土壌」第9回(後編)学習院大学理学部数学科 教授 山田 澄生 氏

学習院大学理学部数学科 教授 山田 澄生 氏(後編)

「世界は広い、そして狭い」ことを外に飛び出して、体感してほしい。

校長対談第9回(後編)01

プロフィール
左:梶取 弘昌(かじとり ひろまさ)
1952年東京生まれ。1977年東京芸術大学声楽科卒。1977年武蔵高等学校中学校芸術科非常勤講師。1988年、同校の専任教諭となる。2011年4月より校長。アレクサンダー・テクニック、ドイツリートの研究・演奏を現在でも続けている。
 

右:山田澄生(やまだすみお)
1987年武蔵高校卒業。プリンストン大学卒業、スタンフォード大学大学院博士課程、Ph.D(数学), 専門は微分幾何学、幾何構造のモジュライ理論、一般相対性理論に関わる幾何解析。現在、学習院大学理学部教授、学習院大学国際センター所長。
前編より読まれる方はこちら
▶キャリアづくりには、ぜひ「複眼の視点」を持ちましょう。
梶取:アメリカ経験の豊富な山田さんにお聞きしたかったのですが、いわゆる日本の学びのスタイルと、アメリカのそれとは根本的に違うところがあるのですか。

山田:ほとんど同じです。だから、プリンストンの教え方が、日本の大学よりも優れているということはまったくありません。そういう意味では、専門的な分野に関しての教育レベルは、日本はまったく引けを取りません。

梶取:そうですか。

山田:日本は、サイエンスでは世界中の尊敬を集めていますし、日本の大学が世界に劣るということはまったくありません。ただ、あえてどこか劣っている点を探すとするなら、文系と理系の区割りとか、リベラルアーツとか、専門性から一歩引いたときの学問に対する姿勢みたいなところで、教育現場が柔軟性に欠けるところは散見されます。

梶取:なるほど。

山田:日本の外に出ると何が起こるかというと、日本では丸く見えるものが、アメリカに行くと四角になるということはまずありませんが、楕円に見えることはあります。そういう意味で複眼の視点を持つことで、より正確に世界を把握できるということです。

梶取:よくわかります。

山田:いうまでもなく日本で教育を受け東大に行って、世界に誇る研究者になられた方も大勢おられます。でも、その研究の視点は単眼的かもしれない。私は、絵なんか一生懸命描いていたせいもあってか、複眼的な視点に執着しがちなのかもしれません。

梶取:複眼の視点は大切ですね。

校長対談第9回(後編)02

山田:私も50歳になりましたが、半世紀生きて何がわかったかと言いますと、我々は「評価」というものと付き合わざるを得ないということです。子どもたちは、受験勉強にしろスポーツにしろ、長い期間評価される側という立場で育つわけですが、どこかで評価する側に立たなければいけない立場になります。

梶取:評価するのは難しいですね。
山田:だから、評価する側に立ったときに自分はどうするのか。その準備を、主体性を持ってしておくことが求められます。その時に、日本とは異なる視点、日本人という属性から独立した視点を、何らかの方法で確保しておくことも大切なことのひとつだと思います。

梶取:確かに、評価するための視点は大事です。

山田:わかりやすい評価の一例として、偏差値やノーベル賞がありますが、これも絶対ではありません。間違っていることもある。いまは間違っていなくても、5年後には間違っていることもあります。また時代とともに価値観がシフトして、現在の評価が大切でなくなることもあります。だから、評価の相対性というものを常に念頭に置きながら、自分のキャリアを考えていかないといけません。

梶取:偏差値には問題が多いですね。

山田:日本の教育のアキレス腱は、等質性ではないかと思っています。自分と違うものを想像できないのですね。
“You cannot imagine what you have not imagined.”
これは、ある小説家の言葉ですが、私が大切にしている言葉でもあります。想像したこともないことを想像しようとしても無駄だよと。それがやっぱり、日本を一度も出ないという行動パターンの、いちばんのアキレス腱になってしまうのではないかと思います。

梶取:耳に痛い話です。

山田:人が生きていく上で、「受ける評価」よりも自らが「する評価」の方が絶対に大切だと思うんです。では、どうやって評価するか。それは、努力しないと評価できません。では、どうやって努力するか。それは、評価する基準を、自分の外にある世界から取り込んでくることです。そのひとつの手段として、海外留学は非常に効果的ですよと。

梶取:いまの子どもたちは評価されることに慣れています。中学受験生は偏差値で切られます。保護者からは、偏差値が少し足りないが大丈夫かと、質問というか悩みを聞きます。参考にはなるけれど振り回されてはだめですと答えるのですが、たとえば、アメリカの大学には、偏差値はありませんね。

山田:ありません。

梶取:日本では、子どもも保護者も学校も、教育業界もマスコミも偏差値の上下に右往左往しています。大学ランキングもそうですね。偏差値やランキングという一次元的な評価から、いい加減に脱却しないといけないですね。

山田:そう思います。でも、どうしてそうなるかというと、楽なんですよ。評価するという行為は、責任を伴うからすごく重荷になります。だから、他の人が評価してくれたら責任が付随しない、楽なんです。

梶取:たまにですが、成績は良いけれど好きなことがない生徒がいます。そういう生徒のモチベーションが何かというと、良い評価が欲しいということだけなんです。ある時、ふと気がついて、僕はなぜ勉強してるんだろうとなるのがいちばん怖いですね。全然勉強しないで、お前は何をやっているんだと怒られている生徒の方が、はるかに安心です。

山田:40代くらいの大人になって初めてそういうことに気づくと大変ですね。

梶取:つまずくなら早いほうがいいと思います。
▶海外留学は、コントロールされた不確実性を人生に取り込むために。
山田:私はサイエンスをやっていますから当然の話なのですが、サイエンスで確定されたことはみんな教科書に書いてあるわけです。教科書に書いてあることを研究して論文に書いても誰も読んでくれないので、そうすると誰も知らない際まで行かないといけない。では誰も知らないところでなにが起こるかというと、不確実性が起こります。だから、何か新しいことをやるときは、どうしても不確実性というものと直面しないといけません。
例えば武蔵の生徒が、「僕、アメリカに行きたい」とどこかアメリカ中西部の人口3,000人の町に行って生活し始めたとして、何か良いことが起こるかというと、ちょっと不安ですね。でも、例えば日本の高校生のために用意された奨学金をもらって、アメリカの比較的良い大学に行くことは、ある意味コントロールされた不確実性の社会に飛び込むことになります。だから、コントロールされた不確実性を自分の人生に取り込む一つの選択肢として、海外の良い大学で勉強するというのは戦略的な方法ではないかと思います。

梶取:いまの高1の生徒(2020年度の入試)から大学入試が変わります。そうすると、親としては自分の子どもを安全な場所に置きたいと思うわけです。私は、そんなところはどこにもありませんとお話するのですが、どう思われますか。

山田:私が何を言いたいかというと、プリンストン大学やアメリカでトップ10〜20の大学で4年間勉強するということに関しては、リスクは殆どないということです。プリンストンの学生がみんなオリジナルで素晴らしいかというと、決してそうではありません。際立った志はないけれども比較的良い成績を修めて、給料の良いニューヨークの会社に就職する学生はいくらでもいます。そういう意味では、アメリカだって日本と似通った学歴社会なのです。非常に印象深かったことのひとつが、ルームメイトたちよりも私の方が、大人だったことです。というのは、週に1回、お母さんからチョコレートクッキーが送られてきたり(笑)、家が近いとお父さんとお母さんが車に乗って週末に洗濯物を取りに来たり。政治の授業のレポートでBを取ったと夜中にお父さんに電話して、これでハーバードのロースクールに行けなくなってしまうと涙をポロポロこぼす人もいました(笑)。幼稚だな、こいつ、と思ったものです。日本の普通の高校3年生の方が、よっぽど大人です。
だから、不確実性というと、北極圏を犬ぞりで冒険するようなイメージを持つかもしれませんが、コントロールされた不確実性の中でキャリアや人生を進めていくということを、もう少し主体的に考えるべきではないかと思います。

梶取:なるほど。不確実性を取り込もうとすると、東大合格者数で評価される呪縛から、学校も生徒も解放されないといけませんね。

山田:不確実性をどうやって取り込むかということに関して、若い人が意識しないといけないことがあります。それは、それを「阻止する力」〜確実で良いではないか〜というものが日本社会にあるということです。先に述べた、すでに確定した評価規準の元で活躍しなさいというメッセージです。例えば日本の大学の学部から、海外の大学院に進学するためには、相当の意思と準備が必要になると思います。それは海外での大学が狭き門ということではなく、学部生が日本の大学でいいんじゃないかという価値観に包囲されてしまっている。そうすると、少し乱暴ですが、脱出速度(地球の重力から自由になれる速度)という点では、高3で脱出した方が楽です。

梶取:高校では、海外の大学に行くなという先生はいませんね(笑)。
山田:私は若い人には「世界は広く、そして狭い」ことを体感してほしいと願います。「世界が広い」とは、一歩飛行機に乗って国の外に出てみると、自分が東京の生活で囚われていた先入観や価値観、当然だと思っていたことが実際は当然ではないということに気づきます。こんなことにこだわっていたのか、くだらないな、というような気づきですね。
「世界が狭い」とは、自分の生まれ故郷から何千キロ何万キロも遠く離れていても、同じ志を持つ同世代と出会うことは想像するよりも容易いということです。

校長対談第9回(後編)03

梶取:武蔵生にアドバイスをするとすれば、いま、どのような実践ができるのでしょうか。

山田:例えば、前述の角南先生の授業の話の続きかもしれませんが、何でもいいから面白いと思うものを見つけて突き詰めてほしい。その突き詰める過程で必要があれば、日本を出て行くことに躊躇すべきではないと。

梶取:自分で面白いものを見つけて、それを持ち続けるということですね。

山田:そうです。ただ、面白いと思うことを持ち続けるためにはコツがあって、それは、あまり具体的なことがらにしないことです。ある程度の抽象性がないといけない。例えば、下世話な話で申し訳ないですけれど、財務省の事務次官になるというのはだめなんです(笑)。だけど、自分が好きで面白いと思う拡がりのあるジャンルや世界が持てたなら、目の前にある具体的な状況を踏まえながらも進んでいけると思います。
▶偏差値が、子どもにこれほど深い傷を残すのか。恨めしい。
梶取:中学受験を考えている小学生やその保護者の方にアドバイスするとどうでしょう。

山田:大学で教員をやっていて思うのですが、自分に自信がない学生は、どんなに手助けしても難しいところがあります。そういう意味では、小学生で勉強することに自信をなくしてしまうようなことにならないように、教師も親も気をつけてほしいと思います。

梶取:苦手意識に追い込まれてしまうと難しいですね。ましてや、それを親が言うと困ります。「うちの子は、算数がだめなんです」と子どもの前で言わないでほしい。

山田:「僕はこれが好きなんだ」と思うためには、ある程度の自信が必要です。萎縮してはだめ。というのも、私は、大学で教員をしていて恨みを感じていることがあります。それは何かというと、大学の入学試験の偏差値です。学生たちは、自分で自分に偏差値という烙印を押してしまっている。「それは終わったことでしょう」と言うのですが伝わらない。もう烙印を押してしまっているから。「君は才能があるし、この平和で豊穣な日本という環境で、これから地道な努力したら、世界に敵はいないでしょう」と言うけれど、そうは思ってくれないのです。ここまで偏差値というのは深く傷を残すのか、と思いますし、評価の責任という話にも通じることです。

梶取:偏差値と頭が良いか悪いかは、違います。

山田:偏差値は、ある特定の競争について出る数字でしかありません。

梶取:子どもが小さいときは、親が不確実性を受け取らないといけないのではないでしょうか。

山田:そう思います。確実性の表裏一体になっているのは恐れだと思います。恐怖心。でも、親は、本当に自分の子供のことが可愛いのだったら、自分が何を本当に恐れているのかというのを見極めなければいけないと思います。

梶取:心配なゆえに、確実性のレールに乗せたいと思うのですよね。

山田:でも、自分より若い人の人生を、自分の判断だけで影響を与えてしまうというのは、罪深いことだと思うのですね。

校長対談第9回(後編)04

梶取:親も自分の罪に気がつくべきだということですね。

山田:そうですね。鏡を見て、実際に親としての自分が恐れているのは何なのかというのを自問自答してほしいと思います。子どもにとってのいちばんの幸せというのは、コントロールされた不確実性を享受できる環境ですし、その意味で武蔵の教育は素晴らしいと思います。
▶日本の小中高教育は世界一。だからこそ、外に出よう。
梶取:最後に、これだけは言っておきたいということはありますか。

山田:武蔵を卒業後の私の経歴は、いわゆるグローバルという標語がくっつきがちなものなので、少し変に聞こえるかもしれませんが、日本という国は非常に素晴らしいし、特に教育が素晴らしいと思います。また日本の教育制度の問題点を上で指摘したので、少し逆説的なのですが、日本のいちばんの財産というのは、小中高の先生のクオリティだと確信しています。すべてのカテゴリーで日本の津々浦々において、先生方の質がこれだけ保証されている国というのは世界のどこにもありません。このようなシステムを作り上げることは一朝一夕では不可能なことを考えると、ものすごい資産であると思います。

梶取:本当ですか。

山田:本当です。教育力に関して、日本は世界の一流国です。高等教育も、小中高と比べてそこまで一流ではないですが、十分に一流です。だから、日本がだめだから海外に行こうというのは間違っています。その逆で、日本が一流だからこそ、外を見てやろうというくらいでちょうどいい。コンプレックスを持つ必要はまったくなくて、誇れるものがいっぱいある国から出ていくと、ハーバード・ロースクールに受からないと泣いている男の子と出会えてホッとするし(笑)、世界は狭いとわかります。繰り返しますが、日本人であることは素晴らしいことだし、日本という国は素晴らしい国だけれども、だからこそ出て行っていろいろなことを体験してほしいということは、ぜひ伝えたいです。

梶取:というと、いま世間でいわれているグローバルとは真逆の出ていきかたですね。

山田:そうです。日本のマスコミ、政治家、官僚が先導する教育や研究関係のプロパガンダでは、グローバルと言った時に、何か恐怖心に訴えるようなところがあります。「日本は遅れている。だから追いつかなければいけない」。それは明治からのメンタリティで、なかなか根深いものがあると思うのですが、そうではないと思うんです。

梶取:先ほどおっしゃった、小中高の先生のクオリティの高さというのは、たとえばどんなところですか。

山田:それはやっぱり、学力です。現場で教えておられる先生方の基本的な学力。アメリカの高校の先生は、学校によっては掛け算はできるけれど割り算はちょっと、という先生が数学を教えていたりするわけですよ。

梶取:(笑)

山田:いや、本当に、冗談ではなくて。日本の社会に、優秀な若者が、教育者になることを奨励する文化、土壌があるという事実に、日本人はもっと誇りを持つべきです。

梶取:そうですか。

山田:はい。

梶取:本日は、ありがとうございました。この対談が、生徒のモチベーションにつながることを期待したいと思います。

校長対談第9回(後編)05

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