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「ー卒業生が語るー 学びの土壌」

トップ 「ー卒業生が語るー 学びの土壌」第10回(前編)武蔵高等学校中学校 新校長 杉山 剛士 氏

武蔵高等学校中学校 新校長 杉山 剛士 氏(前編)

武蔵には、全部まるごとひっくるめて、一緒に育ってきたという共通体験があります。

校長対談第10回(前編)01

校長対談「学びの土壌」第10回の対談相手は、この4月から武蔵高等学校中学校の新校長に迎える50期卒業生の杉山剛士さん。武蔵OBどうし、教育者どうしの二人の対談から、近く100周年を迎える武蔵の「学びの土壌」の豊かさを感じ取っていただけると嬉しく思います。
※この対談は、2019年2月に行いました。
プロフィール
左:杉山 剛士(すぎやま たけし)
1957年東京生まれ。東京大学教育学部教育学科卒業。同大学院教育学研究科修士課程修了。専攻は教育社会学。
埼玉県教育局文教政策室長、埼玉県立熊谷西高等学校長、埼玉県教育局高校教育指導課長、埼玉県立浦和高等学校長を経て、2019年4月より武蔵高等学校中学校校長に就任。

右:梶取 弘昌(かじとり ひろまさ)
1952年東京生まれ。1977年東京芸術大学声楽科卒。1977年武蔵高等学校中学校芸術科非常勤講師。1988年、同校の専任教諭となる。2011年4月より校長、2019年3月退任。アレクサンダー・テクニック、ドイツリートの研究・演奏を現在でも続けている。現在、楊名時太極拳準師範。



梶取:4月から新校長をお願いする杉山さんと、今回、対談をすることができ、大変嬉しく思っています。

杉山:長い間、お疲れ様でした。バトンをしっかりと受け取りたいと思います。本日は、よろしくお願いします。
▶自由で背伸びをしていくような環境に迎えられました。
梶取:はじめに、この対談では、武蔵生だった当時のお話を伺いながら、武蔵ならではの学びについて振り返っているのですが、杉山さんは50期です。私と5期違いますが、入学されたころの武蔵の印象は、いかがでしたか。

杉山:いきなり、入学式で驚きました。ブラスバンドの音楽で入場するのですが、その音楽が、当時の小学生に流行っていたゲバゲバ90分(笑)。その瞬間、「あっ、こうなんだ、これでいいんだ!」みたいな。小学校の厳粛な卒業式が終わったあとでしたから、ビックリしましたね。

梶取:落差が大きいですよね。

杉山:本当に、大きかった。自由で、背伸びしていくような、新しい環境に入ってきた。そんな気持ちを持ちました。

梶取:いまでは、入学式と始業式は別になっています。ですから、ブラスバンドも入学式と始業式では、曲を変えています。始業式は、くだけた曲なのですが、入学式は真面目な行進曲だったり。生徒たちも考えています。少し大人になりすぎた感もありますけれど。

杉山:面白いですね。時代の変化を感じます。

梶取:ところで、杉山さんは、どうして武蔵を受験しようと思ったのですか。

杉山:きっと質問されるだろうと思って、昨日、母親に聞きました(笑)。
というのも、中学受験ですので、私が積極的に受けようという気持ちはありませんでした。母親が言うには、まず、武蔵の校風が気に入ったようです。その校風というのは、自由で個性を大切にしてくれる学校だということ。当時、日本進学教室という週に一回日曜日に会場テストをやっている教室に通っていて、そこの先生から聞いたようです。もう一つは、私は文京区の小学校に通っていたのですが、一つ上の先輩が、武蔵に通っていた。同級生では、私を含めて4人も武蔵に入りました。だから、武蔵は良い学校なんだという雰囲気が小学校にも伝わっていたのだと思います。
梶取:武蔵に入ってきて、その第一印象はどうでしたか。

杉山:思い返してみると、合格したのが本当に嬉しかったんですね。合格発表の番号があるでしょう。大学受験など忘れてしまいましたが、武蔵だけは覚えています。58番でした。

梶取:そうですか。

校長対談第10回(前編)02

杉山:いまも同じなんですよね。発表日の前日、合格者番号が張り出してあるのを父と見に行きました。58番を見つけたときは、すごく嬉しかったですね。そうして希望を持って入ってきて、入学式で驚いて(笑)。これは、自由だなあ、のびのびしているなあと。さきほども申しましたが、背伸びをするような環境に入ってきたという思いが強かったです。

梶取:なるほど。

杉山:その背伸び感というのは、授業もそうですし、友達との会話もそうですし、大学のようなカルチャーショック、そして、自由さというか居心地の良さというのがありました。
▶学問を追求する先生方の、ワクワクする授業に育てられました。
梶取:先生たちの授業も、通り一遍じゃなかったでしょう。

杉山:ぜんぜん(笑)。とくに文科系の授業は。なかでも、中1の授業は、印象強く覚えています。カルチャーショックでしたから。例えば、社会では、「君たちはどう生きるか」というのをやっていましたし、鳥居先生の国語は、「自由とは何か」をテーマに一年間議論して発表するという授業でした。

梶取:いわゆる教科というのではなくて、いまでいうリベラルアーツというか、広い意味での学びを中1からやっていましたね。

杉山:そうです。

梶取:先取り学習という言葉があります。「武蔵は、高2までで終わるんですか」とよく質問を受けます。高3は受験対策の1年間に当てるという意味だと思うのですが、武蔵ではそういうことはしていませんと答えます。例えば、物理の時間に加速度について学びます。それは、つまり微分積分の概念を中3でやっているということです。
生徒は微分積分とは思っていませんが、先生方が工夫をして、6年間の授業を考えていたと思います。

杉山:おっしゃる通りですね。

梶取:素晴らしい先生が大勢いましたけれど、その偉さが子供にはわからない。先生の声が小さいと騒いでしまうし、話が下手な先生もいる。でも、いま思うと素晴らしい先生ばかりでした。

杉山:そうですね。人それぞれ、個性というか、強面の先生もいれば、あるいは弱々しい先生もいたと思うけれど、それぞれみな学問というものを追求しているという点では同じでしたね。

梶取:いわゆる先生らしい先生というのは少なかった。

杉山:生徒のほうが威張ってましたね(笑)。

梶取:どんな思い出がありますか。

杉山:若い先生をからかったり、ざわざわ騒いだりも平気でした。ある数学の先生は、授業中に、「ま」とよく言うんです。1回の授業で何回言ったかを調べると、129回だとか210回だとか。それで、先生のことを「まおとこ」と呼ぶようになりました(笑)。

梶取:そうでしたか。

杉山:ひどい話でしょう。「まおとこ」なんて言うんだから。

梶取:私は、言われたくないなあ(笑)。

杉山:でも、その先生凄いんですね。次から一切「ま」と言わなくなった。子ども心に感心しました。一方で、横井先生は、「よことん」でした。

梶取:「よことん」と言っても愛称ですね。とても怖かった記憶がありませんか。

杉山:授業は、緊張感がありましたね。

梶取:そう。みんな横井先生の授業の前はトイレに行っていました。当てられて、できなかったら「バカ!」と言われるのですが、嫌ではない。

杉山:あ~、「沈没っ!」てね。

梶取:いまは、こういう言葉を言ってはいけない時代ですが、そういう言葉を発しても愛情があったので、気にもなりませんでした。私のときでも高齢でしたが、横井先生は、おそらく80歳くらいまで教えています。

杉山:そうですか。

梶取:いまは、定年があるので無理ですが、生徒が好きな方でしたし、われわれも「よことん」と言って愛着を持っていましたね。

杉山:国語の真田先生は、授業では小説を書け、小説で評価すると。都はるみの追っかけをやっていて、都はるみの話もいっぱい話されていたことを覚えています(笑)。あとは、社会の城谷先生。非常に熱い先生でしたね。

梶取:熱かったですね。
杉山:授業では、日本史の論争的なテーマについて話をすると思えば、生徒には、君たちは帝国大学にいくような連中なのだから、という気持ちを込めて、ある種のエリート教育というか期待というか、しっかりやらないとだめだぞというお話を熱く語られました。かといって、試験は、このページについて勉強しておけというスタイルでしたから、ワンパターンの問題だったけれど、いま思うと、しっかりとした知識を身に着けさせながら、考えて理解していないと解けない問題を作られていましたね。感心します。

梶取:ほかにも、先生の思い出はありますか。

校長対談第10回(前編)03

杉山:文科系は、このように個性豊かな感じの先生が多かったですね。
一方で、理科系の先生は、非常にきっちりとまめに教えられたという記憶があります。例えば、数学。中1のときの松谷先生。怖かったなあ。

梶取:怖かったですね。

杉山:「メラ」って呼んでいましたね。「テメーら!」と言うから、「メラ」。黒板に出て問題の解答を書かされるわけですけれど、そこから問答が始まるので、それに耐えないといけない。しっかり勉強しておかなければいけませんでした。

梶取:そうでしたね。

杉山:中1の最初の授業で、すごいプリントが配られました。それは小学校の問題なんですが、全部方程式で解いてこいと。1枚だけ模範解答というか解き方のモデルがあるのですが、方程式とは何かとか、xは何かとか、そんなことは教えない。1枚だけ教えて、小学校で解いてきた問題を方程式で解きなさい。そこから始まるので、凄い世界に来たなと思いました。

梶取:中1から、そうやって鍛えられたことは大きいですね。

杉山:だから、小学校の授業を終えたばかりの子どもが、いきなり背伸びした世界に入った感じですね。友達どうしでも、「この授業、どうやったらついていけるだろう」という話になって、「きっとアンチョコがあるんじゃないか」となり、探すんです。ネタ本があるはずだと。

梶取:そんなことをやったんですか。

杉山:例えば、生物の矢部先生。生物史の話をされるのですが、教科書には載っていないんです。いろいろと調べてみると、「生物学の歴史」という本があって、その本の通り(笑)。それをみんなで買って、回し読みをするというのをやっていました。

梶取:すごいですね。

杉山:化学も難しい。そうしたら、高校の参考書で「化学精義」という本を買ったら、その本のとおりだぞと。太田先生の日本史の授業も、「チャート日本史」というのにそのまま載ってるぞと。そうして、太田先生のあだ名が、チャートになりました(笑)。

梶取:生徒たちが、そうやっていろんなものを探して授業についていこうとする。これも「自ら調べ自ら考える」ですね。困ったときに、教えを待っているのではなくて。高校の化学ですが、英語で授業をやりませんでしたか。

杉山:それはなかったですね。

校長対談第10回(前編)04

梶取:テキストが英語でした。英語が得意な生徒ばかりではないので、訳本を探してきて、それを見ながら授業を受けました。英語ができる生徒は、もちろん英語のテキストで。我々のレベルなんて関係なしに、先生は、「これでどうだ」と授業を投げてきました。

杉山:そうでしたね。
梶取:音楽の泉先生。先生が亡くなった時、「偲ぶ会」がありまして、同窓生で思い出に花を咲かせたのですが、中3の授業で、ワーグナーの「ニーベルングの指環」を全曲聴くわけです。対訳は、ドイツ語ですよ。それを見ながらひたすら聴くだけの授業で、多くの生徒は寝てしまうのですが、何人かの生徒は音楽に目覚めました。
そういう授業がいっぱいありました。私は、いろんな機会に話をするのですが、ワクワクする授業が大事。懇切丁寧に教える授業はいらないのではないかと。

杉山:ワクワクするというのは、基本ですよね。
▶少人数の学校だからこそ、武蔵生のつながりは大きい。
梶取:ところで、部活動は何をされていましたか。

杉山:バレー部でした。中1から高3まで。

梶取:どうしてバレー部に入ったのですか。

杉山:バスケット部やサッカー部も見ていたんですが、友達からバレー部に入らないかと誘われて。休み時間に、グラウンドでバレーの真似事をしていて楽しいなと思っていましたし、漫画の影響もあったかもしれませんね。「アタックNo.1」とか「サインはV」が流行っていました。

梶取:東京オリンピックが1964年。その影響がまだ残っていて、バレーボールは人気がありましたね。バレーは、やって良かったですか。

杉山:もちろん。成績は、どちらかというと出ると負け。ほとんど勝った記憶がない部でしたけれど、みんなで一生懸命やれた気持ちもそうですし、何よりもつながりですね、OBどうしのタテのつながり。夏は、青山寮で合宿をしましたし、春は、伊豆半島の河津に出かけていって、いっぱい走らされたり、とてつもない高いサーブを受けさせられたり。とことん練習させられましたけれど、そんな事も含めて非常によいつながりができて、大切な思い出になりました。

梶取:部活動の上下関係や同級生とのつながりは、いまでも続いていますよね。

杉山:続きますね。実は、長い間、バレー部には不義理をしていたのですが、1期上のOB会長から「杉山、ちょっと来い」と言われたことから参加し始めて、4~5年くらい経ちますけれど、しごいてくれた先輩がここにいるんだなと(笑)。

梶取:そういう意味での同窓生のつながりは大きいですね。この武蔵という学校は。

杉山:大きいですね。

梶取:部のチームワークも継続しますし。

杉山:武蔵は、少人数でしょう。だから、部もそうですし、同級生を全員知っているというのがすごいですね。

梶取:大きい規模の学校になると、これは難しい。少人数というのが、武蔵愛につながるのかなと思います。

杉山:そのとおりだと思います。やっぱり、10代の男子だからいろんなことがあります。全部まるごとひっくるめて、一緒に育ってきたという共通体験というのが大きいです。

梶取:楽しかったこと、大変だったことが、たくさん思い出されます。

杉山:バンドもやっていたんですよ。当時、流行っていたフォークバンド。最後は、記念祭で講堂のステージにも登りました。

梶取:バンドというと、タイガースとか。

杉山:チューリップやかぐや姫が有名でしたが、私は古井戸という非常にマイナーなバンドのコピーと、オリジナルをやっていました。
みんなとの一体感が好きでしたし、あわよくば女子高校生と知り合うチャンスがほしいみたいな(笑)。そんなことを考えていました。

梶取:ありましたね。どうやって女子校と交流するか考えましたね。

杉山:だから、記念祭では、フォーク村を作って、そこにいっぱい人を呼んで女の子と話をしたり。普段、そういうことをやっていないものだから、非常に楽しかったですね。
▶大学に進学するころは、ジャーナリストを目指していました。
梶取:杉山さんは、大学を選ぶにあたって、どうして東大だったのですか。

杉山:小林哲夫さんというジャーナリストが、「神童は大人になってどうなったのか」という本を書かれました。私は、神童でもなんでもないのですが、載っているのです。なぜ載っているかというと、東大に受かったときに、週刊朝日のインタビューを受けていたことがきっかけです。

梶取:それは知りませんでした。

杉山:そのインタビューで、東大を受けた理由を聞かれていて、私は、「東大は、設備といい教育環境といい、日本で最高のものだから、ぜひ行ってみたいと思った」と答えています。当時は、確かにそう思っていたのかもしれませんが、武蔵に通って、ある程度の成績を取っていれば東大に行けるという文化というか雰囲気があったと思うので、受験するべきかなと。そんな気持ちだったと思います。

梶取:当時は、とりあえず東大という雰囲気がありましたね。

杉山:ありました。

梶取:他の国立大学に行く生徒は、あまりいなかったでしょう。

杉山:いませんでしたね。

梶取:武蔵の授業そのものも受験対策型の授業ではないし、生徒が勝手に、じゃあ俺は東大に行くと決めて行っていたと思うのですね。

杉山:なぜ東大かと問わなくても、とりあえず東大という雰囲気はありましたね。もちろん、早稲田や慶応に行く人もいっぱいいました。あとは、近くにいる先輩を見ていて、「こんな感じで東大に入れるんだ」というのはありました。

梶取:それも部活動の良さというか、先輩がどのくらい勉強したかある程度わかるし、このくらいやるとこの大学に行けるんだなということが伝わっていたのかもしれませんね。
ところで、杉山さんは、どの学部だったのですか。

杉山:文Ⅲでした。
梶取:どうして、文Ⅲを選んだのですか。

杉山:高校時代の話に戻りますけれど、漠然とではありますがジャーナリストになりたいと思っていました。当時、ロッキード事件がメディアを賑わせていましたし、ベトナム戦争を取材した本多勝一氏などが脚光を浴びていました。「ジャーナリズムを通して、社会の正義を実現することは、大事だよな、必要だな」と。法学、経済、政治も大事だけれど、もやもやとした社会も大事だという結論が、自分の中にありました。それで、文Ⅲに行って、社会学を勉強しようという思いを強く持ちました。

校長対談第10回(前編)05

▶ボランティア活動の経験が、教育への道を開きました。
梶取:東大での講義、授業は期待に沿うものでしたか。

杉山:駒場は教養課程ですので、いろんな教養科目がありましたけれど、生意気だったと思うのですが、「こんなの、高校時代に終わってるよ、武蔵の授業で散々聞いたよ」みたいな気持ちを持ってしまったこともあって、もっぱら大学外のサークル活動に力を入れてしまいました。

梶取:それは、どんなサークルですか。

杉山:ボランティアをやりました。貧しい地域に行って、子どもたちや青年たちに勉強を教えたり、いろんな話をして、少しでも貧困問題を解決するにはどうしたらいいかを考える。そのようなサークルに入っていました。

梶取:その経験は、いまでも活きていますか。

杉山:活きていますね。結局、武蔵はいい学校だったのですが、武蔵を卒業したときに思ったことは、すごく自由だけれど、その自由な空間は、閉ざされた空間だという思いがありました。裕福な恵まれた者たちが集まって、自由に、みんなのことを尊重しながら過ごすけれども、その空間自体が閉ざされていて、もう少し広げる必要があると感じていましたし、地に足をつけた生き方をしたいという思いを持っていました。

梶取:なるほど。

杉山:そう思ったときに、貧しい地域に行って、そこで経験するということが、当時の自分の結論でした。

梶取:ジャーナリストとしても、よい下地になりますね。

杉山:実は、その頃、その思いが変化してきたんですね。ジャーナリズムも良いけれども、人を批判したり社会を風評するだけではなくて、もう少し、眼の前の人の役に立つような仕事をするべきじゃないかと。そんな思いが強くなり、結局、文Ⅲから教育学部教育社会学の方に進学することになりました。そこでは、本当にいろんな社会学の勉強をしましたし、非常に面白かったです。

梶取:それで、そこから大学院へ。

杉山:大学院に進むにあたっては、武蔵が大きく影響しています。実は、地に足のついた生き方を考えるうちに、教師になろうと考えていました。それで、教育実習で武蔵に来ました。指導教官は、岡先生でした。

梶取:それは、初耳です。
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