校長散歩

2026.06.04

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904 武蔵の文化財13-北新井遺跡出土の縄文土器-

復元された縄文式土器
復元された縄文式土器
武蔵の民族文化部が保管してきた縄文土器の一部が、2024年2月に「北新井遺跡出土の縄文土器」として練馬区に文化財登録されました。その縄文土器が、このたび記念室に常設展示されることとなりました。
その経緯について、武蔵高等学校中学校紀要8に、民族文化部の99期卒業生と社会科教諭との共著で「武蔵高等学校中学校民族文化部所蔵の縄文土器」という論文にまとめられています。
それによると、1936年(昭和11年)に、武蔵周辺で土地区画整理事業が開始。その事業工事に伴う道路造成で遺跡が発見され、後に縄文時代の研究に大きな業績を残された山内清男氏の指導のもと、武蔵の文化学部(現在の民族文化部)が発掘調査を実施。その結果、縄文時代の竪穴住居跡及び住居跡に捨てられた縄文中期の土器が出土したとのことです。
一方で、武蔵の民族文化部では、戦後長い間、箱ごとに分類されていた土器の破片を保管してきました。しかし、その経緯は不明で、歴代の部員は「武蔵創立時に出てきたもの」との説明を受けていたそうです。
そうした中、2022年に山内家から山内清男氏の武蔵での講演原稿が早稲田大学會津八一記念博物館に寄贈されたことを機に、練馬区はこれらの資料調査を通して、当時出土した土器類を武蔵の民族文化部が保管していると考え、調査を実施。民族文化部に残されていた土器の破片をもとに修復作業が行われ、また、山内氏の発掘記録及び発掘時の写真を手掛かりに、1936年に発掘された竪穴住居跡の場所を、現在の豊玉北2丁目13番地付近と特定しました。その場所は、1940年の環状七号線工事による校地形状変更のため、現在ではほとんどが校地の外になっていますが、おおよそ高中図書館棟から南門付近に位置するとのことです。そして2024年2月28日付で、出土した土器は「北新井遺跡出土の縄文土器」として、練馬区登録文化財に指定されました。まだ発掘調査の事例が少なかった1930年代に出土した貴重な土器であり、関東地方における縄文時代中期の典型的な形状・文様を持つ価値の高いものということです。
また、2種類の土器(勝坂式・阿玉高式)が同一住居跡ではじめて発見された画期的な発掘であり、のちの年代推定の大きな手掛かりとなったものでもありました。
その復元された土器が、2026年4月より記念室に常設展示されることとなりました。
当時の記録を見ると、土器を発見したときの武蔵生の様子が記されています。
「3月11日真にうららかな日である。参加者十数名。十時頃出発目的地本校の西南端。一面の畑で「何所に土器が埋もれてゐるか」と思はれる位な地形である。山内氏の御指導の許に人を分けて試掘をしたが午前中収穫は殆ど無かった。午後やや収穫あり。3月12日天気好し。一同前日に増して真剣。日暮近くやつと土器の集団に出会った。皆非常に元気づいた。3月13日以後 前日の集団は「縦穴の一部らしい。」といふ事になった。掘れば掘る程土器が出る。赤褐色の肌は三千年前のその儘である。時折完全なものまで出る。その嬉しさは一通ではなかった。」
(武蔵高等学校校友会誌第31号(昭和11年6月25日発行))
ぜひ機会があれば見にいってください。古の武蔵の地や発掘にいそしんだ先達の姿に思いを馳せていただければと思います。