校長散歩

2025.07.31

  • #武蔵の風景

800 武蔵の文化財11-今井俊満画伯『東方の光』-

図書館棟1階の大教室には大きな壁画が飾られています。
武蔵の卒業生で世界を舞台に活躍された今井俊満(としみつ)画伯(20期卒1928年~2002年)が描かれた『東方の光』です。

今井画伯は、戦前から戦後にかけての戦禍の時代に武蔵に在学。ちなみに、戦後すぐの1945年9月に、戦前は武蔵で禁じられていた野球をいち早く行い、野球部を創設したメンバーの一人でもあります。(武蔵高等学校同窓会會報第37号(平成7年11月))
武蔵卒業後、果然と美術の道を志します。東京芸術大学油絵科派遣学生として一年間学び、その後フランスに留学。1950年代の美術界に衝撃を与えた「アンフォルメル(非造形芸術)」運動の嵐の中で、IMAIは「アンフォルメル」の若き旗手として活躍していきます。烈しい情熱をたたきつけるようなIMAIの絵は、フランスはもとより、日本でもセンセーショナルな旋風を捲き起こしました。さらに、1985年ごろからは、日本の伝統美と「アンフォルメル」を融合させた『花鳥風月』シリーズを発表。日本では紺綬褒章を受章するとともに、フランスでも芸術文化勲章を受章するなど、その功績は高く評価されました。(武蔵高等学校同窓会會報第45号(平成14年7月))
その今井画伯の貴重な絵が、なぜ武蔵にあるのでしょうか。
話は1969年の時点にさかのぼります。その頃まで、武蔵高中の校舎は、旧制高校以来の現在の大学3号館でした。それが高中独自の新校舎を建設することになり、現在も使用している教室棟が建設されますが、その新校舎建設に伴って、現在図書館棟がある場所には、食堂を含む集会所が建設されることになりました。その際、その集会所に「世界的に活躍されている今井さんに壁画を描いていただこう」という話が進んだそうです。そこで、当時日本におられた今井画伯が、夏休みの期間を利用して、一か月あまりで完成させてくれたのが『東方の光』でした。(この経緯については、大坪秀二元校長(1975年~1987年校長在職)が「武蔵高等学校同窓会會報第51号(2008年7月1日)」で詳細に語られています。)
時は流れ2004年、集会所が取り壊され、その地に図書館棟が新築されます。その際、この『東方の光』をどうするかが課題となり、最終的に2008年、現在の大教室の壁面に飾られることになったそうです。そのことを、この絵が誕生した経緯をよく知る大坪校長は、「世界に羽ばたいた一人の画家の志を、武蔵の後輩たちに伝え続けてくれるべき新しい処を得たことに、言いようもない喜びと感謝とを感じている」と述べています。今井画伯の武蔵時代の様子、そして卒業後の活躍を知るにつけ、まさに武蔵の三理想を体現したような生涯だったと思います。
ぜひ、改めて、大教室にある『東方の光』をじっくりと鑑賞し、大先輩の志を感じてみてはどうでしょうか。
 
※「校長散歩」も800号を迎えることができました。コツコツと号を重ねることができたのも、皆様の励ましの言葉のおかげです。今後とも、「独創的で柔軟」な武蔵生の良さを見出し、発信していきたいと思います。引き続きよろしくお願いします。
大教室に飾られている今井画伯の『東方の光』
大教室に飾られている今井画伯の『東方の光』
大教室に飾られている今井画伯の『東方の光』
旧集会所にあった『東方の光』
旧集会所の概観