校長散歩

2023.10.05

  • #その他

561 牧野 富太郎 博士と武蔵 -NHK「らんまん」終了に際し-

現在の東門付近の植生
2023年度上半期のNHK朝の連続テレビ小説は、日本植物分類学の父と呼ばれる 牧野 富太郎 博士をモデルにした槙野万太郎の半生を描いた「らんまん」でした。最終週に入った9月26日の放送で、彼が亡くなった後ですが、生前の日記の一部が一瞬登場しました。その中に、「大正12年11月21日水曜 久内氏と江古田武蔵高等学校に行き和田氏に面会し久内氏この日同校の嘱託となる。帰途、校附近にてノゲシ苗、ホウキグサを採る」との文章が放映されました。ドラマはあくまでもフィクションですが、武蔵の名前が出たこともあり、学校のほうにも問い合わせ等がいくつか寄せられました。
改めて調べてみると、 和田 八重造 先生は大正11年から昭和21年まで、武蔵で長く教鞭を執られた博物学の先生で、当時、武蔵周辺の植物を調べる「武蔵野植物目録」を作ろうと考え、牧野氏の紹介で 久内 清孝 氏が嘱託としてその任にあたり、1926年に目録として発表しました。目録作成には牧野氏も多分に力を貸してくれたようで、序文には牧野氏への謝辞も述べられています。(P4)
また、牧野氏もたびたび武蔵を訪問したようで、例えば大正13年(1924年)2月9日(土)の教務日誌には、「生物教室に於いて生徒2ヶ年間の作品陳列会を行う。2時より右に付き批評会を行う時に牧野富太郎氏来場、亦一場の談話あり」という記述もあります。
武蔵が創立されたのが1922年(大正11年)。その翌年1923年(大正12年)9月には関東大震災が発生しました。そんな頃に、新しい学校づくりのために、各分野で最先端の学問に取り組もうとしていた一流の教師陣が集った武蔵の歴史を感じさせる話です。
練馬区には牧野富太郎が住んでいた邸宅の跡地を公開した牧野記念庭園(入場無料)があります。私は残念ながらまだ行ったことはありませんが、一度訪れてみたいと考えています。