校長散歩
2025.10.28
- #その他
831 八方尾根黒菱山寮協議会—武蔵山荘(赤い小屋)について—

長野県白馬村は、「山とスキーの王国」ともいえる場所です。戦前から、集落の人々は山案内人稼業に精出し、民宿発祥の地とも言われるとのこと。さらに広大なスキー場を切り拓き、その良質かつ急斜面のゲレンデは、1998年の長野オリンピック・パラリンピックのアルペン・ジャンプ競技会場になるなど、国内外のスキーヤーを魅了してきました。その白馬八方尾根スキー場内の黒菱(くろびし)という地に、武蔵山荘(山小屋)があります。赤い外観から「赤い小屋(ヒュッテ)」と呼ばれています。
この「赤い小屋」ができたのは、1959年(昭和34年)。当時山岳部を中心に募金が集められ、建設されました。のちに武蔵の校長を務められた大坪秀二先生が、その設立の経緯をまとめています。
この黒菱の地に、武蔵も含めて7つの大学・高校の山小屋が建てられました。この場所は共有地であることから、小屋の建設にあたっては、地元の八方振興会と借地契約を締結。またこれも地元の八方尾根開発株式会社の協力を得て、各小屋が共同してライフラインである水を管理。こうした地元の皆様の温かい支援と互いの協力によって、「赤い小屋」は維持されてきました。
黒菱に山小屋を持つ学校が、年に一度、地元の方を交えて意見交換をする場が「黒菱山寮会議」。今年は武蔵が当番校ということで、10月20日、私も当番校の校長として、白馬八方尾根に行きました。
初めて訪れた白馬八方尾根は素晴らしい場所でした。そして黒菱に着くリフト到着地点から少し下がった場所に位置する「赤い小屋」は、とてもかわいいヒュッテでした。中に入ると、狭いながらも、乾燥室や風呂、炊事場、調理器、食器、二段に分かれた畳じきの居間(寝場所)などがありました。山岳部の生徒は冬と春に、この場所で合宿を行い続けてきました。一緒に会議に参加された武蔵山岳部OB会の会長さんにお話を聞くと、この「赤い小屋」は「象徴」とのこと。10代の多感な時期を、白馬の大自然と向き合いながら、ここで共同生活を送った日々は、山岳部の武蔵生にとっては、まさに中高時代の「象徴」なんだと思います。
当初7校あった山小屋も、学校の経営方針やスキー人口の減少などに伴い、3校に減り、残念ながら、来年度からは武蔵と都立石神井高校OB会の2校になってしまうそうです。そうした中で、今も脈々と山岳部を継承し続けている武蔵の存在は貴重です。
白馬に行くバスでは、中国系のインバウンドの方が多数乗車されていて驚きました。山岳リゾートとしての白馬の姿は、時代の流れの中で形を変えていくかもしれませんが、地元の皆さんをはじめ山寮会議に集う方々との交流を通して、根本にある「つながり」や「文化」は今後とも継承されていくことを感じました。
-

上から見た「赤い小屋」 -

「赤い小屋」の内部